わたしは「ゆるミニマリスト」です。
【ミニマリストとは?】
「ミニマリスト 持ち物をできるだけ減らし、必要最小限の物だけで暮らす人。 自分にとって本当に必要な物だけを持つことでかえって豊かに生きられるという考え方で、大量生産・大量消費の現代社会において、新しく生まれたライフスタイルである。「 最小限の」という意味のミニマル(minimal)から派生した造語。」
「ゆるミニマリスト」歴は3年で、物理的な面だけでなく、人生が大きく変化しました。
わたしが「ゆるミニマリスト」になったきっかけを2本立てでご紹介していきます。
・ゆるミニマリストになった理由【片付けられない歴約30年の過去編】 ←今回はこちら
「ミニマリストに興味がある」、「部屋を片付けたい」と感じているみなさんに、わたしの体験談が参考になればと、恥も承知でお伝えしていきます。
目次
はじめに
現在、65平米のアパートに家族4人で住んでいます。
日本のミニマリストさんたちと比べると、広めの部屋に住んでいると思います。
リビングには4人がけのダイニングテーブル、ソファーベッド、本棚、子供用の机セットとおもちゃの収納、がありますが狭いとは感じません。
「ゆる」ミニマリストですので、最小限のモノだけではなく、必要ないモノもありますがけっこうスッキリしています。
家の中で過ごすことがとても快適で、ダイニングテーブルで淹れたてのコーヒーを飲みながらブログを書いています。
しかし人生のほとんどを、「心地よい暮らしとはかけ離れた生活」をしていました。
なぜならわたしは「捨てられない・片付けられない・インテリアのセンスがない人」だからです。人生のほとんどをモノであふれた部屋で過ごしてきました。
数回の引越しを経験し、少ないモノで暮らす大切さを身をもって知ったことで、劇的に変化します。
幾度となくリバウンドしてきましたが、今は『心地よい生活を維持したい』気持ちが強いので、リバウンドしそうになっても修正できるようになりました。
片付けるようになるには理由が必要だったのです。それに気づくまで長い時間かかりました。
片付けられない歴約30年の歩み
片付けとは縁が遠かったわたしの過去です。「子ども時代~社会人を経て、結婚して出産まで」のお話です。
それでは『片付けられない歴約30年』の経緯を見ていきましょう。
学校の机の中からカビたパンを発見した小学生時代
いきなりの衝撃で申し訳ありません。小学校低学年の出来事です。
「学期終わりの日、プリントでごちゃごちゃした机の中を片付けようとしていたところ、カビたパンを発見しました。」
あの衝撃たるや!しかも1回だけではなかったと思います。ホントに情けない。なぜなら当時給食のあとは休憩で、いち早く校庭で遊びたかったんです。
残ったパンをランドセルにいれずに、机の中に放り込んで忘れる。遊ぶことが第一優先で「片付け」という言葉はわたしの頭の中にはありませんでした。
外遊びが好きなトムボーイで服はいつも泥だらけ。細かいことは気にしない性格で身なりももちろん無頓着でした。
いつも身綺麗にしている姉から、「恥ずかしい」と愚痴をこぼされることもしばしば。姉と共有の部屋は母が片付けていたのでキレイだったですが、勉強机はめっちゃくちゃでした。
社会人になり服や雑貨に埋もれる
シェアしていたときはスペースがないので、モノが増えずにすんでいましたが、一つ上の姉が進学を機に家を出たことで、好き勝手するようになりました。
「高校時代に、オーストラリアへ短期留学するために節約していた反動」もあり、社会人になってからは、服・コスメ・雑貨など、ほしいものをほしいだけ買っていました。
旅行に行けば、『買い物しなきゃ損』とばかり買い込む。そしていつかアルバムにしようと、『旅行で使った航空券の半券や観光のパンフレット』もすべて溜め込んでいました。そのいつかはありませんでしたけれど。。。
実家を出る気もなく、「一人暮らしするお金があるなら、好きなものや旅行にお金を使いたい」と思っていました。
タンスや収納スペースはすべてギュウギュウに埋まり、靴は30足。床にもカバンやら本やら散らかりっぱなし。床も埋まると今度は壁に吊るす始末。なんとも思わなかったわけではありません。定期的にスイッチが入り1日かけて片付けたにも関わらず
・捨てるものは、ほんの少しだけ
・新たな収納場所をこしらえて
・見栄えを良くする
基本的にモノが多すぎてスペースがないので、1週間後にはまた足の踏み場がない部屋に逆戻りです。今思えば、
・たくさんモノがあったのに、お気に入りの服や靴ばかり着ていた
・使いかけのコスメがたくさんある
・雑貨はたくさんありすぎて、ガラクタのようにしか見えなかった
・ファッションやインテリアのセンスがなく、統一感なし
散らかった部屋をご想像いただけたでしょう。「散らかり放題のやっかいな娘」と同居させてくれた両親に感謝しかないです。
スーツケース2つでハワイへ移住、人生初の快適な暮らし
結婚を機にハワイへ移住しました。持ってきたのはスーツケース2個のみ。
なぜなら輸送費が高いので、必要なモノは現地調達したほうが安かったからです。「家具付きアパートということもあり必要なものはほとんどありませんでした。」53平米のアパートで新婚生活をスタートしました。
スーツケース2つだけで来ましたし、夫のモノも少なかったのでかなりスッキリした部屋でした。物心ついた頃から散らかった部屋に住んでいたので、とっても快適な新婚生活でした。
「片付いた部屋って広々していて、なんて快適なんだ!あ~幸せ!」
ミニマリストや断捨離などはとくに意識しておらず、スペースがあるから服やキッチン用品を買い足せる、なんてことも思っていました。
しかしそんな生活はつかの間で長く続きませんでした。
リバウンド、出産を機に部屋が荒れ出す
子どもが産まれてから生活が一変します。
はじめての出産で何が必要かわからず、便利そうだと思ったモノはすべて購入しました。ベビー用品を選ぶのが楽しくて買いすぎてしまったため、部屋にモノが増えはじめます。
子どもが産まれてからは、育児と寝不足が続き、家事が後回しになりました。その時期夫の仕事が忙しく、休みの日は協力的でしたが、ほとんどワンオペ育児でした。
キレイな部屋を保てなくなり、料理ができなくなり、できないことが増えることで、ストレスが溜まっていきました。
家にいるのが辛くなって、子どもと気分転換によく散歩に出るようになりました。
当時ワイキキに住んでいたので、近所にお店がたくさんあり、ウインドウショッピングするつもりが 『セールになっているから』『安いから』という理由をつけてストレスを買い物で紛らわすようになりました。そして買ったモノが、少しずつ積もりはじめました。
子どもがハイハイするようになってから、安全のためにプレイエリアをつくりましたが、それ以外は足の踏み場がありませんでした。
完全にリバウンドです。このときの初めての出産・慣れない海外生活のストレスで疲れ果ててしまいました。散らかった部屋をみて、「わたしの心境と同じだ」幼いわが子を抱っこしながら立ちすくみました。
そこではじめて「このままではいけない」と危機を感じたのです。
なぜ、『ゆる』ミニマリストなのか?
なぜ「ミニマリスト」でなく『ゆる』ミニマリストなのかといいますと、必要最低限のモノで過ごすのは、潔いですし憧れますが、今のわたしには無理でした。
わたしは長続きしない完璧主義者で、熱しやすく冷めやすいところがあります。なので『ゆるく』しないと長続きしないからです。
そして小さな子ども育てていると、日々の生活で「待った」をくれません。家事があまり上手ではないので、少しストックがあることで、急な対応もストレスなくできるからです。
家族の意見を聞きながら、必要最低限をめざしつつ『ゆる』ミニマリストでいることが心地よいと感じています。
まとめ:【どうして片付けられなかったのか】
わたしは子ども時代、質素な暮らしをしていました。おもちゃを買ってもらうのは年に1回だけ、服は姉のお下がりがほとんどでした。
今でこそ「ミニマリスト」が流行り、少ないモノで暮らすことが受け入れられています。しかし30年前の当時バブルがはじまり、「モノに囲まれていることが豊かの象徴である時代でした。」服やおもちゃをたくさん持っている友達を、羨ましく感じていました。
ですので自分でお金を稼ぐようになってから、モノへの欲求がとても強かったように思います。
■「たくさんモノがあることが幸せ」と思い込んでいた。
■モノを買う一瞬の喜びはあったものの、吟味せずに買ったモノはその後の必要価値が低くなって、ただのガラクタとなってしまった。
■ガラクタになったとわかっていても、捨てることの罪悪感でモノを手放せなかった。
それでは最終的に幸せを得ることができませんでしたし、モノにあふれた生活はストレスの原因となりました。『モノへの欲求と執着心が、片付けられない原因』だったんですね。
ちなみに質素堅実な暮らしをしていた両親は今、わたしや孫たちにとても甘いです。若き日の両親も子育てをはじめたころ、今のわたしと同じように想うことがあったんでしょうね。
今ではその気持ちとてもよくわかります。当時は両親の考えが理解できず、ほしいままに買い物し片付けられないわたしでしたが、質素に育ててもらってよかったと思っています。
そしてほしいモノを手に入れるために、一生懸命働くことの大切さを教えてもらいました。
さて次回は、「ゆるミニマリストになった理由【実践編】」をお送りします。
さいごまでお読みいただきありがとうございました。
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