オーストラリア留学

「高校の春休みに自費で短期語学留学」した時の体験談【出発・帰国編】

オペラハウス・シドニー

前回に引き続き「1回目の留学、高校2年生のシドニー・オーストラリア編」についてご紹介していきます。

「高校の春休みに自費で短期語学留学」した時の体験談【動機・準備編】

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【前回のおさらい】

中学の頃「海外の音楽や映画」に目覚め、外国を意識するようになる

友人が「夏休みにカナダへ2週間留学」した話を聞き、行ってみたいと思った

高校生になりアルバイトをはじめ、貯金して留学することを決意する

留学費用を捻出し、留学準備にとりかかる

今回はいよいよ留学に出発します。

20年前の出来事ですが、あのときの興奮が忘れられません。今でも鮮明におぼえています。

留学出発から帰国するまで

本とリンゴと鉛筆

高校2年の3学期、「期末試験を終えた次の日」に、『留学先オーストラリア・シドニー』に向けてへ出発です。留学準備と期末テストで大変でしたが、ワクワクしていました。

「10代のときは怖いものや迷いがなく、不安になったのは出発当日になってから」でした。テストを終えた後、高校2年になってできた仲良しグループとカラオケに行き、みんなにしばしの別れを告げました。明日の夜は、待ちに待ったシドニーへ出発です。

【高校生短期留学】で準備したもの

パッキング

スーツケース

一番大きなサイズを買いました。

変圧器とドライヤー

当時は海外で使えるドライヤーがなかったので、変圧器を購入しました。

一般的なドライヤーは現地で安く買えます。ホテルにもほぼついてますし。ホームステイ先にもあるかもしれません。海外対応のドライヤーは風量が少ないので、気になる方は、現地で買うほうがいいと思います。

わたしの必須アイテム「くるくるドライヤー」は海外で見かけません。こちらのドライヤーがおすすめです。

オーストラリアドル

あらかじめ、銀行で10万円分を両替していました。

衣類

オーストラリアは日本と逆で「秋」だったので、夏服+軽めのコートを持っていきました。

海外の建物の中は、「夏でもクーラーでめちゃくちゃ寒い」ので、寒さ対策されることをおすすめします。

ホストファミリーへのお土産

日本らしい絵柄のハンカチとか小物入れを買いました。

日常英会話の本1冊

辞書(電子・本)

電子辞書は優れたものではなく、単語を調べるのによい程度のものです。今ではスマートフォンがあったら簡単に調べられるので便利ですよね。

【高校生短期留学】人生初の飛行機で出発

飛翼

今回飛行機にはじめて乗ります。「夢に見た関西国際空港」に、不安で予定よりずいぶん前に到着しました。

出発は夜便なので、送りに来てくれた両親と一緒に、早めのご飯を食べました。「留学斡旋業者のサポートブック」があったので、そのとおりにチケットを受け取り、航空会社にチェックインして大きなスーツケースひとつ預けました。何もかもはじめてだったので緊張していました。

そしてとうとう両親とお別れの時間です。そこでわたしはここではじめて「この留学への不安」を感じたのです。両親とはじめて1ヶ月という長い間離れて、しかも外国で暮らすのですから。

そして両親もわたしを送り出すときの気持ちを考えると大きな葛藤があったでしょうね。親になり、子どもたちが一人海外で暮らしたいって言われたらと思うと、とても心配になります。わたしの留学は、「両親にとっても大きなチャレンジ」だったことにまちがいありません。

「セキュリティーチェック」、「出国審査」を終え、いよいよ飛行機に乗ります。座席につきキャビンアテンダントのみなさんがとても良くしてくださったことを覚えています。はじめて空から大阪の街を眺め感動しました。夜便でしたが、緊張のため全く睡眠を取ることができませんでした。

日本時間に早朝のオーストラリア・ブリスベンに到着し、一睡もしないままシドニーへの乗り継ぎまでの時間を過ごしました。

ブリスベンからシドニーまでのフライトで、となりに座っていたのは「オーストラリア留学を終えた日本人の大学生」でした。彼女はいかに留学生活が楽しかったか、わたしに話してくれました。その話を聞いて少し不安が和らぎました。

いよいよシドニーに到着。預けた荷物を受け取り到着口を出ると、ホームステイ先のファミリーがわたしの名前のプレートを掲げて、待っていてくれました。

ホームステイ先について

家

ホームステイ先はシドニーの郊外にある、「閑静な住宅街」でした。平屋の1戸建てで、広い庭には「大きなトランポリン」がありました。わたし用に部屋を一つ用意してくれており、はじめての一人部屋でした。そしてこの家の留学生はわたし一人でした。

ホストファミリーは「たくさんの留学生を受け入れた経験」があり、英語をうまく話せないわたしにとっても親切にしてくれました。週末は観光やビーチに連れて行ってくれたり、毎晩の美味しい御飯も楽しみの一つでした。

語学学校があるシティへは、「バスと電車を乗り継いで1時間ほど」の場所にあります。

ホストファミリーの家族構成

両親と二人の女の子の4人家族

・父 シドニー市内の会社で働いています。スーツを着て出社していたので、金融関係で働いていたのだと思います。

・母 専業主婦 もの静かだけれど、とても優しく料理上手

・長女 小学4年生 少しシャイだけど、落ち着いてしっかりしている。運動が得意

・次女 小学2年生 社交的で人見知りせず、英語をうまく話せないわたしのサポート役をしてくれました。

食事の内容

平日の食事は朝・夕の2回、週末は朝・昼・晩の3回ついていました。

・朝食

朝食は各自で食べます。「何がいいか」聞いてくれましたので、「薄切りのトースト二枚と紅茶」を選びました。

わたしはトースト二枚のうち一枚を、オーストラリア名物の「ベジマイト」 を塗って食べました。「ベジマイト」 はお味噌の味がして美味しく感じました。


もう一枚を「オーストラリア産のはちみつ」を塗って食べました。はちみつの美味しさに感動して、お土産に持って帰ったほどです。週末はホストファーザーがパンケーキを焼いてくれたりしました。

・夕食

家族揃って食べました。毎晩ちがう食事が出てきました。基本は「サラダに、野菜をカレーやトマト風味で炒めたものの横に、メインのお肉やお魚。ゆでたじゃがいも、もしくはご飯」がありました。野菜がたっぷり使われており、日本食が恋しいと思ったことはありませんでした。

ホームステイとは

わたしは「留学経験が3度」があり、自分や留学先で知り合った友人のホストファミリーをたくさん見てきましたが、今回のホストファミリーは、「とてもレベルの高いカテゴリー」でした。

わたしが当時18歳以下だったということもあり、ケアをしてもらうために、留学斡旋業者を通して少し高めの金額をお支払いしました。

本来ホームステイと言いますと、「部屋を一部屋用意してもらって食事を1日2食提供してもらうだけ」なのです。ルームシェアの食事付きみたいなものですね。

わたしが留学したアメリカやオーストラリアは「物価が高い」ため、ほとんどのホストファミリーは生活費のために「ビジネス」として留学生を受け入れています。ですので留学生が家に一人だけというパターンはとてもめずらしいです。

日本でいたときは、「ホストファミリーはボランティアみたいな感覚」だと思っていましたが、それはちがいます。

ホストファミリーは働いており、夜や早朝、週末も仕事というところも多いので、基本御飯は各自で食べます。時間があえば一緒に食べるといった感じです。日本のように食事を重要視しておらず、「冷凍食品をチンしておしまい」ということも多くあります。

もちろんほぼ生活費だけを受け取り、ボランティアとして留学生を受け入れている家庭もありますが、なかなかできることではありません。

ですので高校生やホストファミリーとのふれあいを希望される方は、ホストファミリーを選ぶときは少し多めの金額を出してでも、ケアの行き届いたホストファミリーを選ばれるとよいかと思います。

語学学校について

授業中

シドニー市内の繁華街にあるビルのうちの1フロアが、わたしの通う語学学校でした。通っていたときは学校全体で100名近くの生徒がいました。

語学学校初日

学校初日にオリエンテーションの後、プレイスメントテストを受けて、どのクラスに入るのか決定します。

しかしオリエンテーションで何を話しているのかまったくわからず、テストも散々な結果でした。ライティングのテストは少しできましたが、リスニングとスピーキングは惨敗でした。

初日のオリエンテーションとテストを終わった後、日本人スタッフに助けを求めました。オリエンテーションで何を言っているのかわからなかったので、もう一度説明してもらいました。なんとか明日はどのクラスに何時に行ったらいいのかなどを聞くことが出来て安心しました。

授業開始

わたしはテストの結果、「一番下のクラス」でした。テストがめちゃくちゃだったので納得の結果です。

時間は朝8時半~12時半です。

クラス構成

・クラスの人数

1人の先生に対し、生徒は10~15人。

・人種

アジア人が80%(日本、韓国、台湾、タイ、)で残りはブラジル人、スイス人、ハンガリー人でした。上のクラスになるほど、ヨーロッパ人が多かったように思います。

・年齢層

私が一番年下で10代が1人か2人、20代半ば~30代後半の人がほとんどでした。

授業内容

語学学校でおもったことは、スピーキングの時間を長くとっていると感じました。日本での英語の授業は座学が多く、現役の高校生だったので、一番下のクラスの文法に関してはあまり難しいとは思いませんでした。しかしスピーキングに慣れていないので「言葉が出てくるまでに時間」がかかりました。

英語の環境で、授業中に先生からつねに意見を尋ねられます。文法を習ってもすぐに、「その文法を使ってペアになってカンバセーションしましょう。」「終わったらみんなの前で発表しましょう」となるので、休んでいる暇がなく4時間緊張状態でした。最初の2週間は、授業が終わった後ぐったりしていました。

しかしスピーキングが弱く、「現地の人ともっと話をしたい」と思っていたわたしは、スピーキングの練習をできることはとてもよかったと感じています。日本の授業で文法の勉強をしっかりしていたせいか、スピーキングやリスニングができるようになると、どんどん英語力が伸びていることがわかりました。

日本にいた頃は、まわりに「外国人がほとんどいない環境」でしたので、英語を話すのは授業中だけでした。ですのでシドニーに来た当初、日本人以外の人と話すことをとっても緊張して、なかなか話せずにいました。

勉強

しかし2週間目を過ぎたあたりからクラスメイトとも仲良くなり、「英語に対する恐怖心」がなくなってきたので学校に行くのが楽しくなりました。そして残りの2週間もあっという間に過ぎていきました。

「最初の2週間は長い」と感じたのですが、「後の2週間は一瞬に終わった」ように思います。先生にも「来月は上のクラスに行くように考えていたけど、もう帰ってしまうのね。3ヶ月くらい通ったらグンと伸びたと思うわよ。」と嬉しい言葉をいただきました。

はじめは慣れなかったので、長くてしんどいと感じていた学校生活、しかし終わる頃にはあっという間だったなと思いました。

放課後や休みの日の過ごし方

旅行

最初の1週間は、放課後遊びに行く友だちがいなかったので、「地球の歩きかた」を片手に一人で観光しました。20年前はスマートフォンなんてありませんでしたから、本だけが頼りでした。

学校から歩いて行ける「オペラハウス」「ロックス」「ダーリングハーバー」 など、毎日歩いてまわりました。

そして遅くならないよう午後3時までにはシティを出て、家に帰るようにしました。その時のひとりランチは、ベンダーで「フィッシュ・アンド・チップス(白身魚のフライとフライドポテト)」を買って食べたり、

フィッシュ・アンド・チップス

スーパーで買った「サンドイッチとフルーツ」を公園や海の近くのベンチで食べたりしていました。

友人ができると、アジア人の友人がランチ事情に詳しくて、美味しくて安いランチに連れて行ってくれました。中華料理やタイ料理、自分で指差ししておかずを選んだりして、日本で食べたことのない多国籍の料理を食べることができて嬉しかったです。

休日1日だけ、念願の「パディントン・マーケット」へも友人を誘って行きました。

シドニー

わたしは休日ホストファミリーと過ごすことを優先していましたし、平日も午後3時にはシティを出ることにしていましたので、ランチくらいしか友人と過ごせませんでした。他の友人はみんな成人だったので、バーにいったり、パーティしたりして留学生活を楽しんでいるようでした。仕事をしているクラスメイトもいました。

休日はホストファミリーに、「シドニー・オリンピック公園」や、「動物園・ビーチ・観光」に車で連れて行ってもらいました。

留学中感じていたこと

海を眺めている女性

最初の2週間は、ホームシックになりました。英語だけの生活で理解できない環境がとてもつらかったです。一人で観光しているときに、「この景色を日本の家族や友人に見せてあげたいな。一緒に行けたらもっと楽しいのに。」と寂しくなってしまいました。

そしてカレンダーを見ながら、「理想と現実はちがう、日本に帰るまで3週間もある・・・」なんて考えていました。

しかしホストファミリーがいなかったから、もっと寂しく感じていたと思います。

環境に徐々に慣れていき、スピーキング力が上がったことで、友人ができて学校が楽しくなってきたころ「あと何日で日本に帰らなきゃいけない。帰りたくない。」とだんだん変化していきました。

【高校生短期留学】を終えて

空に飛んでる風船

シドニーを去るとき、「もっと勉強したかった」と感じました。ホストファミリーとのお別れもとても寂しかったです。

しかし日本に帰って来てホッとしたことも事実です。家族に会えたこと、地元に帰ってきたこと。翌日には学校へ行きました。留学を応援してくれた仲良しの友だちとの再会に話がとまりませんでした。

残り1年の高校生活を楽しんだ

日本に帰国してから、友だちとの時間を大切にしました。なぜなら留学資金を貯めるためにアルバイトに追われていたため、友人と遊ぶ時間が少なかったのです。ほどほどにアルバイトして、夏はビーチ近くの民宿に友人みんなで泊まったり、楽しい想い出をつくりました。

なぜ高校2年にしたかというと

高校2年の春休みに留学したかったかと言いますと、高校3年生で車の教習所に通いたかったことと、高校卒業後の進路のために時間が必要だったからです。

燃え尽き症候群にになった

シドニーでいたときは、「もっと勉強したい、ここにいたい」と思ったのですが、日本に戻ってから燃え尽き症候群になってしまいました。

なぜなら留学費用を貯めるために、放課後や休みの日もできる限りアルバイトに行き、お昼ご飯さえも節約し「パン1個」という生活をしていました。ほかの友人と同じように、ファッションを楽しんだり、遊びに行きたいと思うようになったからです。

免許をとったら車もほしいし、英語の勉強をつづけるのに大学にいったら、高額な費用がかかり、また「節約暮らしの逆戻りはしたくない」と思ったのです。

もとから海外生活をしてみたいという漠然とした考えで「〇〇になりたいから、英語を勉強したい」という高い目標がありませんでした。なので留学に行ったことですでに満足していたのです。

留学を終えた高校卒業後の進路

わたしは高校進学当初と気持ちと同じく、就職する決断をしました。「次海外に行くときは、留学でなく友人と旅行に行きたい」と思いましたし、働いて欲しいものを買いたかったんです。もしもう一度留学したくなったときは、「働いてお金貯めてからにしよう」と思いました。

就職難のときでしたが、面接のときにこの「留学の話」をしました。この話がよかったのかどうかわかりませんが、当時にしては好条件の企業に就職できました。

仕事はハードでしたが、車を新車で買い、好きなものを好きなだけ買い、海外旅行にも行きました。好きなものを買いすぎて、「部屋が荒れましたが・・・」

まとめ:「高校の春休みに自費で短期語学留学」した時の体験談【出発・帰国編】

今回のお話をまとめます。

■高校生2年生でオーストラリアへ海外留学に行って帰ってくるまで

・放課後や休日ずっとアルバイトして留学費用を捻出
・人生初の飛行機で出発
・ホームステイ先に恵まれる
・語学学校の勉強はスピーキング重視でハードだった
・英語だけの生活と環境に慣れず最初2週間ホームシックになる
・スピーキングが伸び、友人が出来て留学生活が楽しくなる
・せっかく楽しくなった頃に帰国、1ヶ月は短いと感じた

■留学を終えてからの生活

・留学前はずっとアルバイトで忙しかったため、残りの高校生活を楽しんだ
・燃え尽き症候群になり、大学で英語の勉強をする気を失くし、就職
・就職後、海外旅行を楽しんだ

■想うこと
「留学は高額でしたけど達成感は絶大」でした。燃え尽き症候群になりましたが、人生でこの体験があるからこそ今があると思います。もしアルバイトして留学を決意していなかったら、高校を辞めていたかもしれません。高校を続けていたからこそ、仲良しの友人とも出会えましたし。

「もし大学にいっていたらどうなっていたか?」と考えたこともありました。しかしあの頃は「車を買ってファッションを楽しみたい、もう節約はしたくない」と思っていたので、英語へのモチベーションが低くかったです。ですから大学へ行ったとしても、アルバイトや遊んでばかりで続いていたかどうかわかりません。なので就職して正解だったんだなと思います。

この経験があったことで、若いうちから海外へのハードルが低くなり、行動力があがったことは確かです。

それからもしあのとき、資金が潤沢にあったならば、語学学校から現地の高校に編入してみたかったなとも思います。

「留学を考え中」もしくは「留学した後の生活知りたい」方のお役に立てると幸いです。

さいごまでお読みいただきありがとうございました。

 

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