前回にご紹介した、「ゆるミニマリストになった理由【片付けられない歴約30年の過去編】」はいかがでしたでしょうか?
お見苦しい点もありましたが、これがわたしの過去です。生粋の片付けられない人が、何をきっかけに「ゆるミニマリスト」へ変貌を遂げたのか、今回ご紹介していきます。
2本立てでお送りする「ゆるミニマリストになった理由」シリーズ、今回は後半編です。
・ゆるミニマリストになった理由【片付けられない歴約30年の過去編】
・ゆるミニマリストになった理由【実践編】 ←今回はこちら
小学生時代の「給食パンの件」や社会人時代の「服や靴30足に埋もれる生活」から、ハワイ新婚生活での「人生初の快適暮らし」、その後出産を機に「リバウンド」そして途方に暮れました。
そんなわたしが、どのように「ゆるミニマリスト」へ変身していったのかをお伝えしていきます。
目次
【片付けられない人】から【ゆるミニマリスト】になるまで
ハワイで快適な新婚時代を過ごし、出産を機にリバウンドしてしまいます。昔のように自由気ままにはいられないのです、夫や幼い子どもがいます。荒れた部屋で「このままではいけない」、「変わらなくてはいけない」と子どもを抱っこしながら思ったのです。
そしてわたしたちは、夫の家族が住むアメリカ本土へ引っ越す決断をしました。
アメリカ本土に引越しのため、荷物を少なくまとめる
夫の故郷へ引っ越すことになり、荷物をまとめはじめました。
しばらくの間、夫の実家に同居させてもらうことになっていたので、必要なものはそろっています。
日本からハワイに移住したと同じで、海を超えての引越しは輸送費が高くなることもあり、荷物はできる限り友人に譲るか寄付するかして少ないモノで引っ越すことにしました。
もともと家具付きアパートで、自分の家具はほとんどなかったので、引越しは楽だと思い込んでいましたが、そうはいきませんでした。
3年間のうちに溜め込んだモノは予想以上に多く、捨てても捨てても終わりが見えませんでした。引越し3日前からは徹夜で作業しました。引越し当日なんとかスーツケース3つは飛行機の受託手荷物、ダンボール4箱分は船便で送ることにしました。そして所持品の70パーセントを処分しました。
「膨大なモノを一つ一ついるか・いらないのかの作業を繰り返し、身体より頭が疲れていたこと」を覚えています。
「モノを増やすのは簡単だけど・モノを減らすのはとっても大変」だと身をもって知りました。
大好きなハワイを離れる寂しさを、紛らわすことが出来たのはよかったですが。
「キレイ好きな夫の両親」の家へ、引っ越し
夫の実家で同居させてもらっていたので、必要なものはすべて用意していてくれたこともあり、何も困ることがありませんでした。
夫の実家はアメリカ郊外の一般的な建売住宅ですが、とても広くわたしたち3人家族が同居しても、狭さを感じません。わたしは「大阪・ハワイと人口の密集地に住んでいた」ので、この広い家に両親2人だけ住んでいるなんてアメリカ本土ってすごいなと思いました。
そしてもう一つ驚いたことが「アメリカはこんなに広い家に住んでいるのに、みんなたくさんモノを持っていること」です。車が2台入るほどの大きなガレージがあるのに、モノでたくさん埋まっています。
よく週末に家でガレージセールをやっているのですが、「こんなにも家の中からいらないモノがあるんだ」と、ビックリするほどです。アメリカで近藤麻理恵さんが活躍する理由がわかります。「家の大・小関係なく、隙間があれば埋めたくなるのが人の本能」なのかもと感じました。
夫の両親の家はよく手入れの行き届いており、庭は色とりどりの花が植えられ、家庭菜園もあります。広いお家の中はいつもピカピカでとても心地が良いです。
夫の両親がしていたことは、「モノを散らかしても、すぐに片付ける」。タオルが手の届くところに置かれており、「汚れても即拭き取り」ます。
そしてモノを大切に手入れして使っているので、キッチンなどの水回りも築15年経っているにもかかわらず新品同様です。
彼らから学んだことは、
「汚れたらすぐに片付ける、後回しにしない」
ということです。後回しにすると、
・「散らかったモノがいっぱいになると、片付けることへのハードルが高くなる」
・「汚れがたまり、たまった汚れを掃除するのに時間がかかり、そうじが億劫になってしまう」
からです。わたしはまさしく後回しのパターンでした。だからいつも家が散らかっていたのですね。
しかし同時に思ったことが、「大きな家を管理するは大変だ」ということです。
「部屋は4つ、お風呂は2つ、トイレは3つ」あります。「玄関と裏庭には木や花等の植物」が植えてあるのでそれも管理しなければなりません。木は「年に1度業者さんに来てらって剪定」してもらいますが、その他は自分たちでやっています。
大きな家への憧れはありますし、夫の両親の庭のように、花を植えたり家庭菜園もやってみたい気持ちはあります。しかし現実を見てみるとわたしは夫の両親のようにマメではないので、今は「管理しやすい小さな家に住むのが妥当」だと思いました。
アメリカの都心部周辺の物価が高く、「狭い家に住む」しか選択肢はない
第二子が産まれ一段落したので、夫の仕事の便利な場所へ引っ越しすることにしました。小さい子供がいるので1軒屋は管理が面倒だということもあり、まずはアパートを借りることにしました。しかし「不動産の価格は目が飛び出るほど高かった」のです。
探していたエリアは「都心部や人気のエリアではありませんでした。」それなのにあまりの高額でビックリしました。ハワイから引っ越したあたりから、わたしの住むエリアの不動産の価格が急上昇していたのです。しかも勢いが止まらず、この5年で倍近く値上がりした家も少なくありません。「1軒屋なんて夢のまた夢」です。
当初は家族も増えたこともあり90~100平米を借りる予定でしたが、65平米に変更せざるを得ませんでした。それでも生活していく上でなんとかギリギリ合格の金額です。ハワイとちがい家具付き物件が一般的でなかったため、家具もそろえなくてはなりませんし、最低限の出費かつ、荷物もコンパクトに抑えなければなりません。
しかし夫の実家に住んだことによって、その当時「ミニマリスト」という言葉すら知らなかったわたしが、この素敵な家を壊したくないので、「モノを増やさずきれいに保つよう心がけたこと」が良い転機となりました。
近藤麻理恵さんの著書「人生がときめく片づけの魔法」との出会い
引越しを決めたとき、当時日本で大ヒットセラーの、近藤麻理恵さんの著書「人生がときめく片づけの魔法」を読みました。そこでわたしの世界観が一気に変わったのです。
なぜならわたしは片付けることと言えば「捨てること」よりも、「どのように収納するか」にフォーカスしていました。
ハワイにスーツケース2つで移住した、あのときがなぜ心地よかったのか腑に落ちたのです。モノが少ないと余白ができる。「余白は人を豊かにして幸せを運んでくれる」と、こんまりさんの本を読んで気づいたのです。
そして捨てるモノにも「今までありがとう」と感謝する気持ちが、捨てることへの罪悪感と減らしてくれました。そしてもっとモノに愛着を持てるように、捨てるものを少なくするように、吟味して買い物をするようになりました。
そこからわたしは、「お片付け系のブログ」をくまなく読みました。そこで「ミニマリスト」という言葉に出会うのです。これこそがわたしの実践したいものだと目標が定まりました。
突然決まった引っ越し、とりあえず1週間生活できるモノだけを準備

引っ越したい物件に1ヶ月ほど空きがなかったので、小さい子供を2人見ながらスローペースでこんまりメソッドを実践していました。夫の両親の家に引っ越したとき、モノを増やさないようにしようとしていたものの、子どもが2人になったこともありますが、「予想以上にモノが増えていた」ことに驚きました。
そんなとき、希望の物件に急遽空きが出たため、3日後に入居可になりました。
3日後はちょうど仕事がお休みの土・日曜日だったため、まだ片付けをしている途中でしたが、急いで「必要最低限生活できるモノだけ」をまとめました。
アメリカの賃貸物件には、家具付きでなくても、「冷蔵庫、オーブン、コンロ、食洗機、電子レンジ、洗濯機等」の家電は標準装備されているところがほとんどで、引っ越す物件もすべてそろっていました。
ですので今回は、「寝具、衣服、生活用品、食器類、食料品」を1週間過ごせる分だけ準備しました。寝具や食器類は夫の家族から譲ってもらいましたので、買い足したものはとくに何もありませんでした。
【最小限のモノだけ】で生活をスタートして感じた「2つのこと」

上記に準備したモノ以外に、「子ども用の机と椅子、少量のおもちゃと本」を持っていきました。
そしてリビングルームにはまだダイニングテーブルがありませんでしたので、この子供用の机を使って10日ほどご飯を食べました。
①『生活の固定観念』をくつがえす気づきがあった

リビングルームには簡易でダイニングテーブルとして使っている子供用の机しかありませんでした。
「ハワイにスーツケース2つで引っ越したときと同じ清々しい感じ」がしました。一言で言えば「開放感」です。
何もない空間で子どもたちは退屈かな?と思ったのですが、「床にゴロゴロ転がったり景色を眺めたり」持ってきたおもちゃで遊ばずに、新しい空間を楽しんでいたことが印象的でした。
子供用の机で床に座って家族4人、ご飯を食べるのは少々きびしかったですが、できないこともないですね。机のスペースや調理器具も限られているので、「1プレートや1ボウルの簡単なごはん」をつくりました。

なにより慣れないキッチンだったのにもかかわらず食事の支度がラクに感じました。簡単な食事ということもありましたが、キッチン用品が少ないので一目瞭然。探す時間がないのです。
そして以前は毎日時間をかけて料理をしていましたが、「その必要がないんじゃないか」と感じるようになったんですね。
なぜなら1プレートの食事を、「家族揃ってゆっくり食べる」とそれで満足感を得られたからです。
「毎日何品も食卓に並ぶことが当たり前と、勝手に思いこんでいました」が、その必要はないのだと今回気づいたのです。
洗い物も少ないので、時間が短縮。「実は食事の準備や片づけがとても億劫」でした。わたしは食べることが大好きで、「家族にもいろんなものを食べさせてあげたい」と思っていました。
最初のうちは楽しかったですが、それが習慣化し、苦痛となっていたのです。でも家族は喜んでいると思っていました。
しかしそれは、間違いだったのです。子どもたちは手のこんだ食事よりも、一緒に遊んでほしかったのだと今回感じました。
なぜなら新居に引っ越ししてから、「子どもたちの笑顔が増えた」ことです。空いた時間で子どもたちと一緒に遊ぶ時間が増えたことが大きな原因だと思います。
そして何より、『わたしの家事へのストレスが減ったことが大きな転機』となりました。
②【1週間分の必要なモノだけ】で暮らしていけると感じた

最小限のモノで1週間暮らしてみて感じたことは、「意外とやっていける」ということでした。足りないモノは、工夫して補ったり、「なかったらなかったで少し不便だけど1週間だしいいや」と割り切れたところもありました。
なにより広々とした空間が気持ちよく、「モノが足りなくて不便」ということより、「片付けや掃除に時間を取られないこと」がメリットに感じました。
今回最低限のモノで1週間暮らしてみた経験が、わたしの「ゆるミニマリスト」になる原型であり大きなきっかけとなります。
前回お伝えしたように、わたしは「ゆる」ミニマリストです。【「ゆる」=少し便利なモノを増やすこと】により生活しやすくしています。
しかしいざとなったら「最小限のモノだけで暮らしていける」ということが、人生の中で大きな自信となりました。
まとめ:ゆるミニマリストになった「4つの理由」
「ゆるミニマリスト」になったきっかけをまとめます。
①2回の引っ越しにより、モノを減らなければならなかったこと
②「手入れの行き届いた」快適な夫の実家に住み、感銘を受けた
③近藤麻理恵さんの著書「人生がときめく片づけの魔法」に出会い、モノを捨てることに抵抗があったわたしが捨てることができるようになった
④最低限のモノで1週間暮らしてみた結果、とても快適だった
上記の「4つの理由」が大きなきっかけとなります。
複数回の引っ越しを経験して、「モノを増やさないように気をつけていたとしても、自分が思っている以上にモノは増えている」ことに気づきました。
そして二人の幼い子どもがいる今、もう過去のように「モノであふれた生活はできない」のです。安心で心地よい家づくりについて真剣に考えました。その結果、不器用なわたしでもなんとか家事をこなせていますし今の生活に満足しています。
実家暮らしで生活能力が低めだったわたしは、自由気ままに生きてきましたが、家庭を持つことによって人生が180度変わりました。
そして「家族と快適に暮らすことを追求した結果」が『ゆるミニマリスト』になることでした。
片付けられなかったわたしの過去ですが、『否定的な考えは持たない』ようにしています。両親には迷惑をかけましたが、「たくさん買い物していっぱい失敗した」からこそ、「今自分に似合うモノ」がわかったからです。
当初の予定では30歳までに実家を離れて独立するつもりでした。もし結婚していなくても何かしらアクションを起こしていたんじゃないかと思います。もし「ミニマリストになりたい」、「今の生活を変えたい」と思っていらっしゃるみなさんは、『今が変わり時』です。
『変わりたい』その気持が大切なんです。失敗をたくさん経験して学ぶからこそ、なりたい自分になれると思います。
今は「ブログ・SNS・本等」でたくさん情報が得られます。当ブログを見ていただいたことで、「すでに一歩進んだ」ことと同じです。わたしもまだ発展途上、一緒にがんばっていきましょう。
モノとどう付き合うかによって、心や時間のゆとりがうまれます。この「ゆとり」が大事なので、このことは今後お伝えしていきます。
さいごまでお読みいただきありがとうございました。
ブログランキングに参加しています